二年越しの肩の痛みが、
五月に入ってからなくなりだした。
まるで嵐のようだったと思う。
左肩の痛みはずっと強く、左のフックは打てなかった。
この痛みは「五十肩」というものらしいと知ってから、
いろんな治療を試してきた。
ぎっくり腰や急な痛みを救ってくれてきた鍼灸、
原因を知ろうと整形外科、
肩が痛かろうがなんだろうがごりっと音がするまで
なんども自分で荒療治、
「五十肩」とパッケージに書かれた独活葛根湯など。
とくに最後の「独活」(どっかつと読む)葛根湯は、
買うのがとても恥ずかしかったのを覚えている。
たくさん〈研究〉してきたと思う。
名は体を表すというけれど、
あくまでも自分から見たら、という願望であって、
他人から見たら少し違う印象なのではないかと思う。
たとえば、ぼくの名前の由来は
出生時の父親が経営していた「進研」という、
参考書の訪問販売をしていた会社からとったと
母に聞いたことがある。
大手企業グループの学習講座とはまったく関係がない。
今となってはいかにも怪しげな雰囲気の企業形態である。
ともかくそんな願いが両親にはあったのかもしれない。
自分ではそんな感じもするのだが、
研究の成果などあげたためしがない。
すべては人まねだった。
自分で思うのだから、他人は「違う」という印象を
もっと強くもっているだろうと思う。
3年前にホームセンターで買った
エスキナンサス・ミクランサスが、
ことしも小さな花をつけた。
例年と大きく違うのは、花から〈ひげ〉のようなものが
生えてきたことである。
最初目にしたときは、ごみか、あるいは
すすきがくっついたと思った。
室内でまずまず掃除はしていると思うし、
ほうきのような印象の形は秋に見る気がするので
違うとは思う。
3年前に買ったときは花もつけていなかったし、
すすきもつけていなかった。葉もふさふさしてはいんかった。
偉そうになったエスキナンサスもかわいいと思う。
窓を開けていると、外で絶え間なくカエルの鳴き声が聞こえる。
相変わらず火曜、金曜は空童の稽古をして、
休日は十キロを走る。
心がくるしかったり頭がよどんでいるときは
とにかく体を動かす。
散歩すれば考えごとができるし、
走れば意識を空白にできる。
なんのために生まれてきたか、
なにをするために生きているのかなんて、おそらく
もっと時間をかけなければわからないと思うから
とにかく今を生きる。
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