自分が痛い、と感じたときには、
おそらく何倍もの傷を他人につけてきたくせに
平然としてきたのではないか、と
ふとしたときに考えて
そうしてしばらく立ちすくむ。
ああこれはおそらく彼らが感じていた痛みの一部ではないかと
思うのだ。
嫌われていると感じることはとても苦しいけれど、
同じ気持ちをあたえるようなしくじりをしてきたのではないか。
もうなんにも、ひとの気持ちが
わからなくなってしまったような気がして、
自分の感情も足下の床へ流れでていって
ゆるゆると下水道へ流れこんでいく。
無尽蔵に湧いてはこない人間のうつくしい心は、
いちど失うともうもどってこないかもしれない、と
考えて絶望する。
無価値だと思われていると感じて窓の外の雨垂れを眺める。
しばらくして、
雨垂れがだれかをいやすことができるなら、
ぼくも何かの役に立つのではないかと考えて、
のろのろと立ちあがる。
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今日から静岡西道場の稽古が始まりました。
この先がどんなものかわからなくても、
望んだものにならないとしても、
たったひとりでも未来へ進むことは意義あることなんだと思っています。
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