西尾潤著「フラワー・チャイルド」を読む。
五十七歳で亡くなった母を悼む女性は、
仕事でスタイリストのアシスタントをしているけれど、
手際がよくないと叱られ、干されてしまう。
悩んでいるときに、生前の母から言われたことを思いだす。
母から言われたのは、
仕事ができないならもっと努力しろ、という助言ではなかった。
「アホか。大切にしてもらえへんとこでがんばる必要なんか、
ひとつもない。世の中には相性いうものがあるねん」
人間関係も仕事も親子も、なにもかもが相性だと、
彼女の母は言いきったというのである。
本筋の話はもっと壮大で起伏に富み、アイデア満載だけれど、
心に残ったのは上述の言葉だった。
他人から大事にされる、ということは
些細な言動だけでひとを生き生きとさせることができると思う。
ぼくが浜松市へ帰ってきた四年前の三月、
とても感動したのは、ランニング途中で道を渡ろうと立ち止まった際、
すべての車が止まってくれたことだった。
静岡市でも、
ロードバイクでかばんのひもが前輪に引っかかって反転し
道端でそっくりかえってうなっていたときも、
見知らぬ会社員の男性と、学生服を着た少年がかけつけてくれて
心配してくれたことを、
今でも鮮明に覚えている。
今、静岡西道場では
誰かが道場へ遅れて入ってきたときには、
こちらがすでに練習をはじめていたとしても、
できる限り手を止めて
あいさつをするように心がけている。
それがひとを大事にする、ということだと思うのだ。
ぼくは他人を大切にしているだろうか、と毎日考えては
なにも進歩していないと省みる。
べつだん、善行などというほど大上段に構えた言動でなくても
かまわない、
毎日、毎時間、なにかひとつでも
ひとに親切に、やさしくしたいと思うのだけれど、
なんだかぎくしゃくするだけ……。
フラワー・チャイルドのモチーフにならって、
いっそ今は土星の影響下にあるからと言い訳できたらいいのに。
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