昔、十年くらい前に少年部を担当したことがあるとしよう。
小学六年生の男子がいた。
道場で、後輩の小学四年生が彼を避けるふしがあった。
その理由は程なくしてわかる。練習に参加する人が少なくて、二人が対戦せざるをえなかったときのことだ。
後輩の腕を極めて放さないところをぼくは目撃した。
慌てて止めに入ったが、四年生は痛みに耐えかねてしくしく泣いていた。
六年生がそうするには、もちろん理由があったのだろうと思う。
だが、技術と体力にまさる彼が後輩を仕留めるのは容易だっただろう。
「ひどくするのは感情を支配できていない証左だ」と彼に伝えた。
ほかにも何か言ったかもしれないが、ぼくはずっと忘れていた。たぶんそういうものだろう。
けれどそれから六年生だった彼の、学校での素行不良が明らかになった。
学校でも札付きの不良と付き合っており、かつ、不良よりも喧嘩が強いと恐れられているそうだと。
そのことを知ったぼくは道場で彼に話した。「力を顕示してどうする?」
一時間も説くと彼はうん、わかったと、頷いて帰っていった。
わかったと言ったのは表面のことだけで、
その場を逃れたい子どもらしく理解などしていないだろう、
すぐ元の木阿弥、などと決めつけていた。
しかし彼はその十年後、とても品行方正な男になったことをぼくは知った。
再び彼と会ったとき、今度はぼくのほうがふさいでいて、
他人を傷つけるような不遜な態度をとっていた。いろんなことがうまくいっていなかった。
他人に暴言を吐いた現場を、かつて六年生だった彼に見られた。
「俺に言ってきかせたのにそれかよ。俺は先輩のあんたにいわれてすごい努力をしたのに。先輩はあのときなんて言ったか、覚えてないだろう?」
彼は大学を卒業して、現在は働きながら、
行き場のない少年たちと放課後クラブで練習をしているという。
「先輩はあのとき言ったんだ。『後輩はきっと、先輩の態度を見て育つ。二枚目でいこうじゃないか、負の連鎖を断ちきるような』」
本当に忘れていたけれど、ぼくはそれから自分の態度を見直そうと思った。
崩れた心をまだ完全には取り戻せないでいる。
しかし彼の言葉、表情は記憶に焼きついてぼくの目の前を光で照らす。
今でもぼくは嫉妬深いし、疑い深いし、でも一方では底の浅い人間で、嫌になってしまう。
きつくいさめてから彼が稽古のたびに毎回してくれていたことを思いだす。
必ずあいさつを励行することだった。
しばらくして彼の周りであいさつをまねするひとが絶えなくなったと、人づてに聞いた。太陽のようなほがらかな人に彼はなったのだ。
それに比べてぼくは。恥ずかしくないようにもう一度生き直したいと思う。
まだこれからできるかどうか、頭の中で彼に問いかけている。
駅から自宅へ帰る道では、長い間工事をしている。
以前あった小学校跡地に、新しい建物がこれから建つ。
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