猛者のもさもさのすね毛ぞろいをかきわけて懇親会をする。
ギャグばかりひろうするうちに
ふと考えこむ。
 自分の愚かさは、
ふつうに生きていたら、
気づかないだろう。
 ふつう、というのは「意識しなければ」ということであって決して家計に過不足があるということではない。
 ここでそ、そうだいまこそ、
ぼくは馬鹿だったと思うなら
今後開けてくるとおもうのだ。
 だん今は人の優しさを感じるために
毎日生きている気がする。
 あのひとのその優しさを。言葉で言わんけれど思いやりを。だれに向けてでもない、ひとりのひとに対する身の挺しかたを。
 ああもうどう感謝していいかわからないのだ。
 みんな、お金を出してももらえないようなことを、ただで教えてくれる。
 ぼくがこれ以上間違えないようにって、周りの人に気づかれない、別の時系でかいまみたことを、心配してくれて。
 真心はお金を媒介にしてはやりとりできない。
 どんなに頼んだって、称賛なんかしてくれない。
 してくれるならそれは商業の関係だからだろう。利用したりされたりするからだろう。
 町道場の空道では利用しようがない。むしり取ろうとしたって、表層1枚剥がせるだけで、すぐに徒労だとわかるだろうから。
 これからもぼくはばかでいるだろう。
 それは出自のせいではけっしてないと思う。
 これから出る若いひとのために。
 残念ながらぼくはもう、
なんにもできなかったひとなのだ。
 でもきみたちの肥料になるくらいは、
きっとなれると思っている。
 これからさきは、駆け足で。
 目の前のことを追い抜いて、
真っ白な壁がみえてきたら、
壁紙であるように願う、
コンクリートの素材でないようにと。
 すはらしい後輩たちの希望がきっと、
かないますように。
 かなうまであなたの服の裾をはなしませんから。
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