意地悪、ひょっとすると邪悪、とさえ形容されるかもしれない他人を妬む気持ちからはじまって妨害へとひた走る言動は、非生産的だし、時間が経つにつれて、陥れたかったはずのひとを利することにもつながることがある。
ぼくは確かに宣言したいのだが、
他人のものをほしがったりしないし、
ましてや奪おうなんて思いはまったくしない。
誰かの幸せな環境を崩す行動は、
絶対にしない。
ところが、意地悪なひとは、
ひとがうれしそうにしているところへ
足をかけて転ばそうとする。
愉快犯は罪深い。飢えて死にそうな自分が生きるためではなく、
単に暇つぶしのためにひとを悲しませるのだから。
たとえば、
遊園地へ行くのを楽しみにしている人たちの乗る列車が出発するのを遅らせて、
密かに笑っているような陋劣さに、
本人はきっと気づかない。
幼いころ、みんな「ひとはひと、自分は自分」といいながら実行できない大人を見て育ってきたから、自分と違うひとを許せない。この罪の連鎖はいつ断ち切れるのだろうか。
世界を変えるのは子どもたちではないと思う。責任転嫁はたいがいにしんとかん。ぼくたち大人が負うことなのだ。
押しつぶされている人たちをなんで笑えるのか。それは自分たちが手を下しているからだ。
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8/19〜20まで、
名張市へ空道サマーキャンプへいってきました。
静岡西からは三人が参加。痛みを伴う競技だから、参加者のかずはは少なくないと思うんです。
毎日、一息もつかずに命を燃やし尽くす。
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