二十年くらい前だろうか、
父に面白い話を書く人を教えてくれというと
「松本清張はすごいぞ」と言われたのを覚えている。
けれどそのころのぼくは、
異星人との戦いみたいな話に夢中になっていて、食指が動かなかった。
最近、あるところで薦められて松本清張の短編集を読んだ。
するとあれっ、どうしてだろうか、とてもおもしろいのである。
「声」電話交換手として新聞社に勤める高橋朝子は零時過ぎに外部からの電話を受けた。
彼女は社員三百人の声なら、相手が名乗らなくてもたいてい聞き分けられる聴覚の持ち主である。
社会部次長から「えらい学者が亡くなったから昵懇の間柄である東大教授宅へ電話をつないでくれ」と頼まれてかけたところ、相手から「間違いだ」と言われる。
しかし翌日の夕刊に、その教授の家で妻が殺されたという記事が載った。
朝子は警察へ出頭してその声の主のことを話したが、
声調を一回きり聞いただけなので犯人の手ががりには結びつかない。
一年して朝子は結婚したが、夫は夫婦になってみると怠惰で、仕事を辞めてしまう。
しばらくして夫はいかがわしい会社へ勤め始めるが、麻雀をしに連れてきた同僚の声に、朝子はひっかかりを感じる。
聞いたことのある声だと。
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駅の構内を歩いていると「ここには明太子食べ放題の店んあるに」と聞こえてきた。
声の主は女性であり、得意げな調子だった。
「えっ、行ってみたい、そんなのあるの」と
同僚らしき男性と女性が代わる代わる言う。
明太子を、食べ放題だからといってどれくらい食べられるかわからないが、
二人の男女を先導する女性の、
誇らしげに歩く後ろ姿を見て密やかに感動する。
「ほらそこの角を曲がるとさ。あれっ。ない」
でも三人で、うふふ、えへへ、と
笑いあっているような声が聞こえてきて微笑ましい。
分かれ道で違う道へ進んでいった。
あのあと、目的の店は見つけられただろうか。
もし見つけられなかったとしても、
ちかいものは手に入っただろう。
ひょっとしたらもっといいものだったかもしれない。
ぼくは帰宅途中で珍しく弁当を買う。
30%割引されたのり弁である。
部屋で弁当を温めて、ビールの缶を開け、弁当をひらくと、
果たして真っ先に目に入ったのは明太子だった。
もちろん、食べ放題というにはほど遠く、ほんの少しだけである。
けれど明太子には違いない。
あ、そうかこれはひとのこころをわくわくさせる、と思うのである。
毎週、同じことをしている。
空道の稽古をし、グレイシー柔術の稽古に行き、
週末はランニングをする。
1週間に一冊は物語を読み、外国語の参考書を開く。
幾度も負ける。
でもまた挑戦することを待ってくれている存在があるような気がするのだ。
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