「いよいよ、修学旅行ですから、これまでの経験を生かして」
と言う声が聞こえてうかがうと、
20代とおぼしき男性教師のとなりに同じく若い女性教師がいる。
これまでの経験を生かす修学旅行とは、どんな旅路なのだろう。
男性教師はなにかに気を取られたのか、口をつぐんでしまう。
女性教師はといえば、彼を助けるわけでもなく、
ただ二人の生徒をみつめていた。
奇妙な空間で、駅の改札のほうを向いて立っているのは
2人の男子、女子中学生である。大人たちが改札を抜けていくのをじっと見ていた。
生徒がふたりしかいないことに少し驚きを感じる。
分校だろうか。昨日は団体の生徒で駅構内がにぎわっていた。
男子は急に明るいところに連れだされ、
まぶしさに目を細めているような様子である。
彼はきっと、月末に控えた全日本けん玉選手権の市内予選に向けて
練習しなくちゃ、と頭がいっぱいなのだろうと思う。
男子より頭ひとつ背の低い、眼鏡をかけた女子はまっすぐ教師を見上げている。
餌をとってきてくれた親鳥に向かう小鳥のようだ。
彼女はきっと、先生が作ってくれた予定をそらんじていて、
江戸時代後期に建てられた旧家の町並みを見学するところへ思いをはせている。
井戸には捨てられた女の怨念が、今もただよっているだろうか。
隣接の〈悪夢〉博物館にはミイラとか展示されているのかな。
四人はこれから走りだそうとしているところなのだ。
どんなひとであろうと、
どんないじわるをしたり抑圧したり恐怖心をうえつけたとしても、
彼らの未来をじゃまなんてできない。
年齢を重ねた人が若い人にできることは、
伴走しながら、ひたすら応援することなのだとぼくは思う。
そのためにぼくたちはいま、あなたがたが跳躍できる装置を、
開発しているところなのだ。
開発中の機械に指が挟まれても、低いひさしに頭をぶつけても、
あなたがたが活躍するところを支えていきたい。
幸福な未来をつくろうと努力せずに、
大人でいることなんてできない。
大人にどんなに悲しいことがあっても、
未来を生きる人たちには楽しい時間が待ち受けていてほしい。
いま、ぼくたちが変えなければ、
サムソンのように強い連鎖を断ちきらなければ、
彼らにすばらしい未来を用意することができない。
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支えるためのロードワークを週末にする。
たいそうな理想をかかげているわりには、
現実にはなよなよしたこころでいることが、
たまらなく恥ずかしくて、逃れたくて変わりたくて走る。
遠州灘へ向かって10km走り、
打撃から投げへ、Kudo Trainingをする。
明日月曜は、静岡西は通常通り稽古があります。
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