浜松駅から出身校の県立浜松南高校までは
地図上の計測で4kmだった。
意外と近いという感想をもって走り出すが、
実家の周辺以外は知らないところなので道に迷う。
田畑のとなりに細葉の塀で囲った住宅、という雰囲気は
同じなのでますますやっかいである。
南西へ向かって走っているつもりなのに、
北へ向かっているなどということを三度も繰り返して
たどりついた我が母校は、記憶の中の姿と変わっていなかった。
自分の足の力だけで正門の前にきたのは30年ぶりだった。
鏡に映る自己像も写真も、
ぼろ雑巾よりもひどいし、無論増上慢のなれの果てだと思う。
右膝は前十字靱帯と半月板で三回手術してもらった二人の医師には
感謝と賛美の念を欠かさないが、
リハビリ不十分だからばかばかばかと自分をなじりたくなる。
でもぼくはここから、再起を期している。今年ほどの転換期は、
20年か30年に一度しかない、なんて大仰かもしれない。
けれど、鉄鎖のくびきを解かれても行く場所がないひとのように、
迷いに迷ってでも、動いていればやがてどこかにはたどりつく。
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