「おまえはもう運を使い果たしたな」とか
「順風満帆な人生だな」とか
「学校のお勉強だけできるおぼっちゃん」などと言われることがあるかもしれない。
でもそのどの形容も的外れだということが、
彼らそれぞれのことを知悉するにつれて明らかになる。
その人は、幸運の一振りにあずかったことよりも不運に見舞われたことのほうが多かった。幸運は人口に膾炙するが、不運は本人も隠すし、意地悪な性格の持ち主以外は触れないようにしてあげるから目立たない。
またその人は、順風満帆な人生などではないと、不幸な顔をしてみせる時間がない。しくじったことへの慰謝や、逃れたい場所からあがく工夫で忙しいからだ。
そしてその人は、「学校のお勉強」と揶揄される知識や思考法を身につけてきたが、奨学金を借り、自分で返済したので、金満家のおぼっちゃんではなかった。
確かなことは、彼らのことをみなが嫌っていたり、蔑んでいたりするということである。
でも彼らには続けていることがあるので、それらの桎梏の捕囚に甘んじたりはしない。
日課は、たいしたことはない、ただ美文字の練習、というだけなのだが、
いつかどこかで実を結ぶことをぼくは祈っている。
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今日はサマーキャンプ前の追い込み。
空道の道場で、
稽古後に来ているものはグレイシー・バッハとナイキのもの。
大道無門である。
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