武士道ってなんだろう。
それは、会社のためや、上司のために自己犠牲を強いられる思想でもなければ、
別段、やせ我慢推奨でもないし、マゾヒズム賛美でもないと思う。
武士道は、誰かの役に立って死ぬことではないか。
なにものかに敗残して、命を散らすことではなく、
誰か、あるいはなにか大きなもののために、礎となる決意なのではないかと思う。
エアコンのない旧幼稚園の校舎で空道の稽古をすると、
同年代の圧倒的大多数と思われるひとたちみたいに、
毎夜を、誰かとつるんで強くなったつもりになったり、
他人のうわさばなしをして貶めたり、共謀して穴を掘ったりして
「消費する趣味」を求めたりはなんにもしたくなくなるのである。
そんな卑怯な下劣な人物には、空道家はならない。
ただ、自分を研鑽し、なにかの役にたつかどうかはわからないが、
翻って、ここまで連ねてしまった長広舌もいらないかもしれない、
ぼくたちの身体のうちに行き続ける武士道、という、やっかいな、
でも矜持でもあるもの。
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