ひとりで闘っていないあなたがたたに、
有益だろうと思って何かを伝えようとしても
石をぶつけられるからもうなにもいわない。
つぶてを頭に受けたほうは、
身の危険を感じたのだから、
きっと同じ大きさのつぶてを投げ返すだろう。
内心、相手を虚仮にしながら近づいて
足を掬ってやろう、
転倒したところを
彼の尊敬している両親に見せてやろう、
目撃した両親は、
当初は我が子と知らずに爆笑してしまい、
当人が顔をあげたあと自責の念に苛まれたりしたら笑えるだろう。
他人の吠え面かくのを見たい、
そんなことを毎日かんがえている
策略家がおもいのほかたくさんいる。
そうしたことが子どものころから楽しくて、
大人になってもおもしろいと感じている人は、
そうやって他人との関係だけのなかで
ショートコントをみつけようとする、
まさしく一生はつかのまのゆめのようだろう。
自分の頭の中には、ショートコントが生まれないのだから、
他人のしていることをみて笑うしかないのだ。
しかも、他人の策略で自分が主人公になってはまるのは
いやなのだ。
そうした鍛錬を大人になっても積んでいくと
どんなアスリートになるかというと、
いじわる、などといった逃げ道のあるような形容では
たとえきれない、
日本人が海外で印象づけられる性格の一面
「いんしつ」を代表する選手になってしまう。
そのひとたちは、大概
つるんで歩いている。ひとりではどこも歩けないのだ。
ひとりでいると攻撃されたときに、
一対一では勝ち目がないからだろう。
でも、あなたがばかにしたひととは、
一対一で対峙する機会がかならずでてくるだろう。
他人の悪口を言うなら、
そのひとをからかおうとするなら、
せめて〈自分の考えをもってせよ〉。
むーみんみたいな、腹の出たやつにめいれいされましたって
言い訳するところを、
あなたの愛する人に、みられたいですか。
走狗だと自分でかんじたときに、
きっとつらいおもいをするだろう。
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