もう十日も前になってしまうが七月の第四土曜日、
大学時代の友人がインドネシアに留学へ行くというので、
壮行会を横浜で開いた。
ぼくも浜松からかけつけたわけだが、
ほかにも、名古屋、三島、宇都宮、東京からもみな
わんわんわんわん吠えながら野良犬のように走ってきた。
ぼくの友人、ということは、20歳とか21歳じゃない。
50歳を超えて挑戦するというのだ。
ぼくは本当に組織の中では仕事ができないし、
周りの才気煥発な仲間と自分を比べてしまうと
恥ずかしくてたまらない。
おまえごときが、すばらしいひとたちと対等に話すんじゃないと
いくども言われてきて、それはわかっている。
でも遠くに住んでいるぼくの友らは、
すばらしいひとだけど、人間的な価値や階級なんか思い知らされることなく
ずっと友だちであり、師であるのだ。
彼らはみな、誰も斜に構えたり
自分の〈楽しい〉という気持ちを抑えつけたりせずに、
たからかにうたうのだ。
〈いっしょにいてたのしい〉
ああなんだろう、めずらしい楽器を見つめるひとの、
すてきな帽子を見つけたときの目の、
このひとといっしょにいてうれしいという人たちがともに向けあう笑顔の、
〈このことがほしい〉と、
純粋に思うひとのきれいなのぞみを感じたときに
感電してしまった気持ちになるのはどうしてだろう。
暑くても、週末は10km走ることをやめないし、
道場へも通う。
それでおまえはなにかいいことがあるのかと問われたら、
行く末にいいことはないと思うけれど、
とにかくみちのりを全力で生きたいと思っていると答えるだろう。
少しずつなにかをうしなっていっても、
なにもしないですかして生きていくよりずっといいと
ぼくは思っている。
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