言葉を完全に理解できない、というのは
表情を読み取ってきもちをわかろうとする
いい機会でもある。
グレイシー・バッハの道場で
ブラジルの友人が
「だいじょうぶ、もんだいない」といってくれるだけで、
体重以外すべて軽くなったものである。
アニメ少女の顔が描かれたTシャツを着ていった夜、
「Tシャツを買うときはカドイさんに誰かついていってあげてください」
と言われ、けれどペルー人の友だちは
「おまえのセンスは誰もわからんで放っておけ。
みんなカンペシーノ(田舎者)!」と味方になってくれた。
そして今日は、
日の丸の男が「世界中のひとが静岡西ファンですよ。
これぞKudoって稽古だと思いますから」と
胸を張る。
ぼくも、心の中で仲間になっている人の
味方でいよう。
なにがあったって、どんなことを他人に言われたって、
傷ついたとしたって
そのすばらしい人間性には咎などいっさい、見当たらない。
誰も誰かの代わりの人にはなれない。
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