友の奥様が亡くなった。
会社の後輩と先輩が「親しい友人だと思うから伝えにきた」と言って訃報を携えてきてくれたのは水曜日だった。
友は、ぼくとは会社は違うが、入社したときには同じ貸しビルの五階の隣の営業所に勤務していて、当時、とても公私ともに仲良くしてくれた。
ぼくが当時、全然仕事を覚えられず、いまだに仕事のできない男でいても、一貫してぼくに声をかけ続けてきてくれた男である。
仕事に打ち込んで実力をつけて出世し、周りの人望も厚く、もちろんぼくも二十五年来の友人で同郷出身の男に一目置きもし、また、温厚な性格でひとに気をつかう優しい人柄なので憧憬も抱いてきた。
ご令室とは二十五年前にお会いしたことがあり、年賀状のやりとりも毎年してきたので、元気な姿を拝見してきたところである。
まだ五十一歳、早すぎる死であった。
通夜に出席した。前の席のひとたちが後ろを幾度も振り返るのでなんだろうと思っていたら、合点がいった。
あまりにも玉串奉奠に並ぶひとの列が絶えないのである。
ぼくよりも後席に座る同じひとが三回くらい並び直しているのではないかと本気で思ったほどである。
故人を慕うひとたちの多さに、人柄が忍ばれた。
もちろん、その夫である、友に対しても、ぼくは人格者だというあこがれを強くした。
最後に喪主である友が話す。
「突然のことで、ぼく達家族はもう、一生分の涙を流しましたから、これからは強く生きていきたいと思います」
ぼくも誕生日を迎えた。
流れていくできごとを運命といえば無力感を強くする。
ぼくができることは大きくないかもしれないけれど、
力を尽くして生きていく。
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