静かな変革

 後日実際に実を結んだり、

はっきりとわかる効能をもたらすかどうかは別にして、

ともかく他人の言葉は啓示に満ちている。

 彼が夕方、仕事を終えて立ちあがると、

「これからなんとかドウの稽古に行くの?」と待ち伏せしたように

同僚においかけられて「うん」と答えると、

「わざわざやられにいくの?」とたたみかけられた。

「顔面にむかってくるパンチは

十中八九、よけられるんだけど」と答えると、

彼はもう三メートルほど離れており、

「社長! これからどちらへ?」と

経営者の姿を見てかけよっていくところである。

 こう書いているとコントのようだけど、

彼はやはり、あまりいい気はしていなかったようだ。

 彼は職場でもかなり早く帰るほうである。

 独身の彼は、つれだって飲みに行くような仲間はいないし、

帰宅しても団らんが待っているわけでもない。

 仕事のほうでは、彼のことを評価するひとはいない。


 けれど週に二、三回、彼の帰宅時刻は午後十時になる。

 彼は空道の道場へいって汗を流してくる。

 一流の選手だったわけではないが、

継続して何十年も同じ生活をしている。

 彼は、十代から二十代、そして五十代になったいまでも、

先生や先輩、後輩、友人からもらった助言などをたいせつにして

暮らしていることを僕は知っている。

 といっても彼の宝ものは、くれた本人はとうのむかしに忘れているだろう。

 そう思っていたと彼は言っていた。


 でもそうではないと知ったのはつい先日のことだ。

 彼とは、駅で電車を降りてから自宅へ向かう方角が同じなので、

十分くらいの間いっしょに歩く。

 彼がスマホをとりだして、立ち止まって画面に目を近づけるのを

僕は見た。

 しばらくして、彼はわざとらしくくしゃみをして、

そうして、鼻をかんだ。

 僕のほうに差しだしたスマホの画面には、

僕たち共通の恩師からのメールの文面があった。

「おれみたいなやつでも、先生はずっと、みていてくれてたんだよう」と

彼は語尾を詰まらせて言った。

「だれも、おまえ以外には、——おれのことなんて知らないのに、

だ、第三の男がいたんだよう。先生が、先生は」


〈先日、きみの動画を初めて拝見しました。

 きみの動きには、主張があるとおもいました。

 一生、おいつづけていい道だと思います。

 なにもかも、あきらめるな。なぜなら。

 ここに、死ぬまで

きみの成長をたのしみにしている老人がいるのだから。

 そのことを忘れるな〉


 彼ははげしく泣いていた。

 僕は、恩師に少ししっとした。

 彼がひざを折って、冷たいアスファルトに両手をついて

うなっているのをみて、彼のこころがふるえているのがとてもよくわかった。


 他人を利用したり、だましたり、からかったりせずに

ただ自分の技術を、力をみがいていくひとのすがたはうつくしい。

 うつむいて生きるひとたちを支え、

おかしな世界をかえようという決意を、

彼はまだだれにも言っていないようだ。

(社)全日本空道連盟 大道塾静岡西道場

(社)全日本空道連盟 大道塾静岡西道場は静岡駅近くで稽古をしています。 空道は総合格闘技であり、礼節を重んじる武道です。 責任者・門井研は、大学入学から現在まで35年のキャリアがあります。 静岡県空道協会と静岡市空道協会に所属。 空道は、2026年青森県国民スポーツ大会のデモ競技となりました。

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